茨城県東茨城郡大場村(現在の水戸市大場)生まれ。
1907年(明治40)茨城県立水戸中学校(水戸一高の前身)卒業。
1913年(大正 3) 早稲田大学法学部卒業。
飛田穂洲は, 水戸中学校・早稲田大学で野球選手として活躍し, その後早稲田大学野球部監督(1919~1925年)となって黄金時代を築いた。その間, 報知新聞社(1911年入社)・讀賣新聞社(1918年入社)でも活躍し, 1926年以降は朝日新聞社で評論や随筆を執筆した。彼の野球論の特徴は,「一球入魂」という言葉で知られるように,精神性の重視にある。また彼は, 野球の教育効果に着目して中等野球(高校野球)・大学野球の普及に努め, 「学生野球の父」と讃えられている。1961年には野球殿堂入りを果たし, 現在では飛田穂洲旗中学野球大会も開かれている。
飛田穂洲の胸像は, グラウンドを見下ろせる本校南端に建立されており, 側にはサトウハチローの詩碑「飛田穂洲先生を偲ぶ」(はじめの詩, まんなかの詩, おわりの詩)が置かれている。
○ はじめの詩
ひとつのものを つらぬくことのすばらしさ
ひとつのものに 何から何まで打ちこむうつくしさ
ひとつのものを 大事にそだてるやさしさ きびしさ
ひとつのもの以外 ふりむかないガンコさにも われわれは笑顔と拍手をおくろう
ひとつのもの ただひとつのもの
ひたむきにそれと取り組んできた人
その人にわたしはいままでしたことのない おじぎをする